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■是方博邦(これかた ひろくに)
1955年3月3日生。大村憲司に誘われ1975年に神戸より上京し、「カミーノ」に参加。
以後、1977年に「桑名正博とティアドロップス」、1979年に「高中正義グループ」、1982年に「松岡直也グループ」に参加。
1983年にデビューアルバム「KOBE KOREKATA」を発表。1987年にナルチョ、力哉さんと共に「本多俊之RADIO CLUB」に参加、また、ナルチョ、難波さんと共に「堀井勝美 PROJECT」にも参加。1988年に、野呂一生(from CASIOPEA)、安藤まさひろ(from T-SQUARE)の二大ギタリストも参加したギターセッションバンド「OTTOTTRIO」を結成。1989年に「日野元彦エレクトリックバンド」、1990年には「JIMSAKU」のリードギタリストとして参加。
1991年に「タモリの音楽は世界だ!」(テレビ東京系)に斉藤ノブ率いる「NOBU-SONS」のギタリストとして参加。1993年からは同番組に「KORE-CHANz」のバンドリーダーとして参加。このテレビ番組で是ちゃんを知った人も多いはず。
1995年3月に六本木PIT INN、9月には京都RAGで音楽生活20周年記念ライブを行う。
1998年12月には「OTTOTTRIO」10年ぶりのアルバム「TRIPTYCH」発売、2000年1月には7年ぶりのソロアルバム「PLANET GUITARMAN」を発売。
現在は「野獣王国」をはじめ、「KORENANOS」、「KORENOS」など、多くのセッションを中心にライブ活動を行なっている。
野獣王国の大半の曲を作曲し、野獣のまとめ役。
親指にはめるタイプのサムピックで、ブルースが根底に感じられるギターを奏でるその姿と音はとても印象的。


■鳴瀬喜博(なるせ よしひろ)
1949年11月13日生。大学在学中の'71年からプロ活動を開始する。
1972年に「カルメン・マキ&OZ」に参加、1974年に「SMOKY MEDICINE」結成。1975年には「金子マリ&バックスバニー」を結成し、1980年まで活動をした。
1981年ファーストソロアルバム「MYTHTIQUE」を発表。その後「QUIZ」、「うるさくてゴメンねバンド」など自分のバンドを中心に活動し、セッション活動も数多く行う。
1987年に是ちゃん、力哉さんと共に「本多俊之RADIO CLUB」に参加、また、是ちゃん、難波さんと共に「堀井勝美 PROJECT」にも参加。高中正義、三枝成彰などの作品にも参加。1990年には「CASIOPEA」に参加。バンドブームを起こしたあの「平成名物テレビ/いかすBAND天国」にもこの頃から審査員として出演。このテレビ番組でナルチョを知った人も多いはず。
2000年9月にはベストアルバム「HERE COMES THE HURRICANE BASSMAN」が発売。同年にナルチョBass Life 30周年記念ライブも行われ、昔の自己のバンドを「CHAOS II」、「うるゴメ II」として主要都市でライブを行う。
現在は「野獣王国」、「CASIOPEA」を中心にセッションなどでも活躍中。
ベース小僧が、チョッパー奏法を突き詰めて行くと、必ずどこかで鳴瀬氏の名を目にするほどチョッパー奏法のイメージが強いベーシスト。しかし野獣ではどちらかというと指弾きが多いが、だからといって大人しい演奏かといえばそうでもなく、ロックスピリット溢れる演奏をかもし出している。
MCはナルチョの独断場で、他の追随をゆるさない。手数と口数が一緒のベーシスト。
またの名を、ベース帝国の総理大臣ベースベーダー様。


■難波弘之(なんば ひろゆき)
1953年9月9日生。1973年にプロ活動を開始する。
1975年に鳴瀬氏らと「金子マリ&バックスバニー」を結成、バンド脱退後は様々なミュージシャンとセッションを重ねる一方、山下達郎のツアーに参加。1981年に自己のバンド、「SENSE OF WONDER」を結成。
1985年にNHK教育テレビで「ベストサウンド」の講師を務める。 また、ナルチョの「うるさくてゴメンねバンド」にも参加、是ちゃん、ナルチョと共に「堀井勝美 PROJECT」にも参加。1988年には東京音楽大学の非常勤講師となる。1991年に10年ぶりに山下達郎のツアーに参加。1993年に「タモリの音楽は世界だ!」「KORE-CHANz」のメンバーとして参加。1994年には桐朋学園短大講師となり、1995年に日本音楽教育センターからCD教則本「Synthe of Wonder」を発表。
1997年には元ノヴェラのヴォーカル五十嵐久勝と「Nuovo Immigrato」を結成。 2000年11月には、氏名義、「SENSE OF WONDER」名義のアルバム6タイトルが復刻、そして山木秀夫、「fragile」の水野正敏とアコースティックでプログレをジャズトリオで演奏する「A.P.J.」のCDも発売。
映画、TVドラマ、アニメビデオ、ゲームミュージックなどにも携わっており、キーボード奏者のみならず作曲、編曲家としても、「TOKIO」や「SIAM SHADE」など数多くの活動をしている。また、作家としてもいくつかの作品を発表している。
「Dimension Traveler(ディメトラ)」などのプログレ色の強い変拍子の曲を野獣では多く提供しているが、演奏するかしないかでメンバー内の派閥争いが起きているらしい。


■小森啓資(こもり けいすけ)
1964年7月5日生。16歳でドラムを初め、1984年にプロ活動を開始する。
「シブガキ隊」のバックバンドである「シブ楽器隊」に参加、その後「シブ楽器隊」を辞めた後に、1987年には難波さんの「SENSE OF WONDER」に参加。1992年に「SENSE OF WONDER」脱退後も、スタジオワークを中心にスティーブ・バイ、ヴィニ−・ムーア、フランク・ギャンバレといった海外ミュージシャンとの共演の他、工藤静香、鈴木康博、大江千里、KRYZLER&KOMPANY、葉加瀬太郎、広瀬香美、Coba、古内東子など、多数のレコーディングやライブにも参加。その一方、是ちゃんやナルチョのライブなど、フュージョン系ミュージシャンとの様々なセッションライブにも参加している。
1996年にはドラムマガジンの「アーティスト直伝セミナー あの人に習いたい!」での講師を担当。1年近い連載を行う。
ちなみにあさくらが確認している範囲で、是方-鳴瀬-難波-小森の「第二期野獣王国」での演奏は、1988年のゲームサントラ「MUSIC FROM YS II」、1991年頃の鈴木結女のデビューの演奏でも既に実現している。

2000年5月5日に京都RAGで行われた「野獣王国」のライブから正式加入。「野獣王国」にはドラムの演奏だけではなく、作曲にも参加している。


■東原力哉(ひがしはら りきや)
1956年7月19日生。11歳の時にドラムスティックを握り、15歳で大阪に乗り込みプロ活動を始める。
19歳で田中武久氏に師事し、師のトリオバンドで初のレコーディングを行い、「関西に凄いドラマーがいる」との噂が広がる。1981年に「浪花エキスプレス(後のNANIWA EXPRESS)に参加。この頃から本多俊之、渡辺香津美、向井滋春、峰厚介など数多くのミュージシャンとのセッションを重ねる。
1986年「NANIWA EXPRESS」解散。その後「渡辺香津美MOBO」「本多俊之RADIO CLUB」などに参加、一方で「KOREKATA SUPER PROJECT」、タイガー大越のレコーディングツアーなどにも参加。
1991年に「渡辺香津美RESONANCE VOX(後のRESONANCE VOX)に参加。
1994年には、"LIVE SPOT RAG"創業13周年記念・平安建都1200年記念企画として「東原力哉十三夜音語り」を行う。これはその名の通り13日間連続で毎日異なるミュージシャンとセッションを行うという常識外れのライブで、1年ごとに1日ずつ増えていき、しかもこれが1997年の「十六夜音語り」まで4年間も続いたというから怖ろしい。僕は「十五夜音語り」の最終日のライブが初めての「音語り」体験だったが、疲れなどまったく感じさせない演奏だった。
最近では、「3×3」や「The Dabbler」などに参加。また、先日復活した「NANIWA EXPRESS」をはじめ、現在も数多くのセッションなどで活躍中。

しかし、残念ながら1999年11月23日に渋谷On Air Eastで行われた「Portfolio」とのライブを最後に脱退。





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